これまでの歩み

福島県レクリエーション協会誕生のころ

福島県レクリエーション協会は、昭和44年9月2日に設立されました。
その準備として「福島県レクリエーション協会結成発起人会」が、
昭和44年1月31日に開催された記録が残っています。

福島県レクリエーション協会の設立と同時に、福島県レクリエーション指導者クラブが結成され、
主に行政(県)主導のレクリエーション協会と、主に民間主導のレクリエーション指導者クラブの両輪で、
本県のレクリエーション運動は推進されてきました。

事実、昭和54年福島県レクリエーション指導者クラブを発展的に解散し、
新生・福島県レクリエーション協会として活動を開始するまで、
福島県レクリエーション協会の事務局は福島県教育委員会保健体育課におかれ、
同課の指導主事が、事務局長を兼ねていました。

新生・福島県レクリエーション協会

昭和54年、福島県レクリエーション指導者クラブを発展的に解散し、
新生・福島県レクリエーション協会として活動を開始しました。

指導者クラブの解散とレクリエーション協会が生まれ変わるきっかけは様々考えられますが、
一つには、時代が変化し、行政組織内に、民間団体の事務局を置くことが困難になってきたことに加え、
50名を超えない人数で推移してきたレクリエーション有資格者の数が、徐々に拡大し、
指導者クラブの中では、その登録・更新事務を負いきれなくなってきたことが考えられます。

具体的に、昭和50年代前半の有資格者数の数字は残っておりませんが、昭和56年には74名、昭和57年には111名、昭和58年には134名、昭和59年には237名となっています。

昭和56年度までは福島県教育委員会保健体育課におかれた事務局も、
昭和57年度からは正式に事務局所在地(事務局長自宅)におかれるようになりました。

レクリエーション協会が生まれ変わってまず最初に手がけたのは生涯スポーツの普及でした。
昭和55年度以降、「みんなのスポーツ指導者研修会」として、
インディアカ、チュックボール、ターゲット・バードゴルフなど、
当時ニュースポーツと呼ばれた各種目の指導者研修会が開催され、
各種目ごとに「普及員」「普及審判員」「公認審判員」が多数誕生し、
これらの方々が、現在の種目団体の形成に大きな役割を果たしました。

昭和56年には「第1回福島県レクリエーション大会」が、
福島市にある福島県青少年会館を中心に開催され、その後今日まで続いています。
( 文末 「福島県レクリエーション大会のあゆみ」参照 )

その後、レクリエーション有資格者の数は、200名台から大きく増えることはありませんでしたが、
平成10年度以降大きな変化が現れます。
県内に課程認定校が1校増え、毎年100名を超える有資格者が誕生するようになりました。

加えて、平成2年度から正式に活動を展開してきた「福祉レクリエーションネットワーク」のはたらきにより、
県内における「福祉レクリエーション」が大変盛んになったこともあり、
毎年100名を超す一般養成が行われました。
その支援として福島県社会福祉協議会の助成があったと伝えれれていますが、
それらを示す書類は、現在では散逸しています。

おかげをもちまして、平成10年度には271名だったレクリエーション有資格者は、
平成13年度1,038名まで拡大しました。

事務局移転と事務局体制の構築

平成15年度には、事務局長所在地(事務局長自宅等)におかれてきた事務局を、
財団法人福島県青少年会館に置くことになり、現在の事務局体制が整いました。
平成16年度以降、退職校長が2年任期で事務局長職を担ってきましたが、
平成22年度に、門間孝一会長から本多勉会長に交代したことに伴い、
有資格者が常勤で事務局を担っています。

平成21年度には、設立40周年記念事業を挙行し、
平成22年度には、特定非営利活動法人化を果たしました。
また平成22年度には、本県では初めてとなる、
公益財団法人日本レクリエーション協会公認
レクリエーション・コーディネーター養成のための
スクーリングを開催しました。

特定非営利活動法人福島県レクリエーション協会
東日本大震災からの復興と全国レクリエーション大会への取り組み

平成23年3月11日14時46分に起きた東日本大震災と、その後の原子力発電所の事故により、
特定非営利活動法人福島県レクリエーション協会が計画していたすべての計画は大きな変更を余儀なくされました。

平成23年度以降、被災地での地域コミュニティー再生の支援と、
子どもの体力低下防止を含めた被災者に向けたレクリエーション支援を中心とした活動が行われました。

事業数、予算額等は、当初の計画よりも著しく増え、ほぼ毎日のように現場があり、
事務局にいても局員同士が10日も顔を合わせないという日があるほどでした。

活動を期待していた有資格者の中には、
除染や、災害復興事業に従事することになって思うように活動ができないという有資格者もいました。
それでも私たちは、笑顔を届けるために、県内くまなく歩きたいと願ってきました。

平成22年度から平成25年度まで、福島市スタートダッシュ応援事業の研修者受け入れ事業所となり、
4年間で、10名の研修生を受け入れ5名の就職に結びつきました。

第68回全国レクリエーション大会2014福島の開催とその後

2012年度には、流行に先駆けて「第1回マンカラ交流選手権大会」を開催しましたが、
これは日本において初めて開催したマンカラ大会としてWikipedia「マンカラ」のページに記載されました。

2011年の東日本大震災以降、行政の特段の支援をいただき、
平成26(2014)年度に、第68回となる全国レクリエーション大会
(第68回全国レクリエーション大会2014福島)を開催させていただきました。

全国レクリエーション大会の開催に合わせ、
事務局には、事務局長1名、事務局次長1名、事務局員3名がいましたが、
大会終了後、平成27年度には、事務局長と、事務局次長の2名体制となりました。
また、平成27年度からは、会長の本多 勉が、
公益財団法人日本レクリエーション協会の理事に就任しました。

平成28年度には常務理事を新設し、
公益財団法人日本レクリエーション協会が新たに出してきた
人材養成カリキュラム(29年度カリキュラム)に従った最初のモデル事業を行いました。
また、新規の資格となる「スポーツ・レクリエーション指導者」の養成事業(フルバージョン)を、
全国で初めて開催しました。

あわせて、この年には、福祉レクリエーション・ワーカー養成のスクーリングも開催され、
20名を超す福祉レクリエーション・ワーカーが新たに誕生しました。
平成29年度には教員免許状更新講習会を開催するようになり、
平成30年度からは、公益財団法人日本レクリエーション協会の登録資格となるレクリエーション・サポーターの養成を、教員、放課後児童支援員、介護職員などに向け開催するようになりました。

50周年記念とその後

2019年9月2日、福島県レクリエーション協会は創立50年の節目の年を迎えました。
その年の11月には、日本協会の樋口修資理事長をお招きし、50周年記念式典を挙行いたしました。

2009年の40周年記念誌には、こんな文章がありました。

「未来へ」。
これは一時流行した歌のタイトルではありません。
この40周年記念事業を進めているなかで、ずっと私たちの頭の中から離れることのなかった言葉です。
「天地人」。これは、今年のNHKの大河ドラマのタイトルではありません。
何につけ、物事を成し遂げようとするときに大切な「天の時、地の利、人の和」のことです。
福島県レクリエーション協会は、創立20周年の年に、一度記念事業を立ち上げようといたしました。
でも、うまくいかなかった経験を持っています。
きっとそのときには、この「天地人」がそろっていなかったのかもしれません。
20年後の今年、40周年事業の実施にあたり、
「20年前にできなかったことができるのか。」というご批判もいただきました。
そんなとき、私たちの頭の中には「未来へ」という言葉が舞っていました。
初めは、形の見えない霧のような言葉でした。
しかし、一つ一つの仕事が進むうちに、それははっきりとした形を示してきました。
今はまだ、捉えることのできない蝶のように、空を舞っている「未来」は、
いつか必ず私たちの手の中に捉えることができる、いえ捉えなくてはならないものです。

「40周年は通過点。」きっと多くの方がそう語るでしょう。
「なぜ、区切りの良い30周年や50周年ではなかったの?」
多くの方がそう問うかもしれません。

私たちは40周年を過去から未来への「変化点」だと考えています。
それぞれに、つらい時代もありました。投げ出したくなったこともありました。

空白の10年もありました。
でも、時代はめぐり、こうして未来を見据えることができるようになりました。

私たちの40周年は、過去との決別でもなく、50周年への通過点でもなく、未来への変化点なのです。

この40周年記念事業を実施するにあたり、
名前を挙げきれないほどたくさんの方々にご協力をいただきました。
心から御礼申し上げます。

ありがとう、大切な仲間たち、ともに「未来へ」。

そして、2019年の50周年記念誌にはこんな言葉がありました。

10年前に発行された40周年記念誌には、
「40周年は、50周年への通過点ではなく未来への変化点」と書かれていました。
「最も強い者が生き残るのではなく、最も賢い者が生き延びるのでもない。
唯一生き残るのは、変化できる者である。」と言うダーヴィンの言葉がありますが、
私たちは、10年前のあの時から変化できているのでしょうか?

2011年1月には、特定非営利活動法人として法人化を果たしましたが、
3月には東日本大震災を経験しました。
2014年に全国レクリエーション大会を初めて招致し、
そのレガシーとして2015年から、福島県レクリエーション大会の名称が、
「ふくしまスポーツフェスタ」から「ふくしまレクリエーションフェスタ」に変わりました。

また、さまざまな機関、団体との関係も変化し、
新しい関係が生まれ、新規事業や、全国で初めて行うモデル事業もたくさん受け入れてきました。

それで変化できてきたのでしょうか?

どんなに取り繕ったとしても、参加者が増えなかったり、会員が高齢化したり、
団体数が減少している厳しい現実から目を背けるわけにはいきません。
見方によっては後退しているようにも見えます。
私たちの活動に逆風が吹いているように見えます。
でも、私たちはへこたれてはいないのです。

後退するのは、助走をつけてより高く飛ぶため。
逆風に向かうからこそより高く舞い上がることができます。

多くの先輩たちが築いてくれた50年の歴史の上に、新しい歴史を積み上げるための、
新しい日々がもうすでに始まっています。

40周年は変化点、50周年は区切りの年、そして新しい挑戦が始まる年です。
これからも、特定非営利活動法人福島県レクリエーション協会をよろしくお願い申し上げます。

50周年を迎えた福島県レクリエーション協会は、日本協会との連携を重視しながら、
2021年度に、あの東日本大震災から10年の節目として再び開催することとなった
「第75回全国レクリエーション大会」に向かって準備を進めることになりましたが、
2020年2月ごろから新型コロナウイルス(COVID-19)がパンデミックを起こし、
福島県レクリエーション協会の各種事業も中止、延期など、大きな影響を受ける中、
2021年7月、開催まであと2か月というところで「中止」という判断をしました。

そのさなか、2020年(令和2年)度の総会において役員が改選され、
外部理事、女性理事の割合が高くなりました。
7月1日の理事会で新たに新谷崇一が会長に就任し、
副会長には、福島大学教授 菅家礼子氏の就任もあり、福島大学との連携も進むことになりました。

2021年に計画されていた「第75回全国レクリエーション大会2021福島」の中止に象徴されるように、
2020年から2022年までの3年間は、新型コロナウイルス(COVID-19)のため、大きな影響を受けました。
その中でも、人材養成事業だけは、中止にすることなく実施してきました。
2023年5月には、新型コロナウイルスが、インフルエンザと同じ位置づけに分類されるようになり、
マスクの着用も本人の意思に任されるようになり、だいぶ事業が戻ってきました。
その年の8月末から10月いっぱいにかけて、
第43回福島県レクリエーション大会が,

2021年に計画されていた「第75回全国レクリエーション大会2021福島」の中止に象徴されるように、
2020年から2022年までの3年間は、新型コロナウイルス(COVID-19)のため、大きな影響を受けました。
その中でも、人材養成事業だけは、中止にすることなく実施してきました。
レクリエーション・インストラクター養成講習会の中で、こんなことがありました。
新型コロナウイルス感染拡大防止のため、マスクを外さないことはもちろん、
食事も、各自車の中で撮ってもらうほどの対策をし、
実技も、一切のスキンシップを排除したものに絞って実施していましたが、
参加者の雰囲気は良くなく、スタッフも頭を痛めていました。
ちょうど折り返しのころ、すぐに消毒することを条件に、隣の人と手をつないだところ、
急に、会場の明るさが変わったように見えました。
参加者に笑顔が生まれました。
っ最後に提出されたレポートの何通かには、
「あの時時から、本当にレクリエーションが楽しくなった」とか、
「あの日にk、講習会のすべてが変わった」と書かれていました。

スキンシップがもつ力の偉大さを思い知らされた出来事でした。

2023年5月には、新型コロナウイルスが、インフルエンザと同じ位置づけに分類されるようになり、
マスクの着用も本人の意思に任されるようになり、だいぶ事業が戻ってきました。
その年の8月末から10月いっぱいにかけて、
第43回福島県レクリエーション大会が、ふくしまレクリエーションフェスタ2023として、
4年ぶりに完全な形で開催されました。

福島県レクリエーション大会のあゆみ

コンセプト:
市町村レクリエーション協会の強化を図る

年度通算回数開催地大会名称
昭和 56年第1回福島市第1回福島県レクリエーション大会
昭和 57年第2回福島市第2回福島県レクリエーション大会
昭和 58年第3回福島市第3回福島県レクリエーション大会
昭和 59年第4回会津若松市第4回福島県レクリエーション大会
昭和 60年第5回郡山市第5回福島県レクリエーション大会
昭和 61年第6回福島市第6回福島県レクリエーション大会
昭和 62年第7回いわき市第7回福島県レクリエーション大会
昭和 63年第8回鏡石町第8回福島県レクリエーション大会
平成 元年第9回福島市第9回福島県レクリエーション大会
平成 2年第10回会津若松市第10回福島県レクリエーション大会
平成 3年第11回郡山市第11回福島県レクリエーション大会

コンセプト:
国民体育大会を盛り上げる

年度通算回数開催地大会名称
平成 4年第12回福島市第1回福島県民スポーツ・レクリエーション祭
平成 5年第13回福島市第2回福島県民スポーツ・レクリエーション祭
平成 6年第14回福島市第3回福島県民スポーツ・レクリエーション祭
平成 7年第15回福島市第4回福島県民スポーツ・レクリエーション祭

コンセプト:
県内各地に生涯スポーツの火をともす

年度通算回数開催地大会名称
平成 8年第16回郡山市ふくしまスポーツフェスタ1996inこおりやま
平成 5年第17回会津若松市ふくしまスポーツフェスタ1997inあいづわかまつ
平成 10年第18回原町市(現南相馬市)ふくしまスポーツフェスタ1998inはらまち
平成 11年第19回須賀川市ふくしまスポーツフェスタ1999inすかがわ
平成 12年第20回喜多方市ふくしまスポーツフェスタ2000inきたかた
平成 13年第21回二本松市ふくしまスポーツフェスタ2001inにほんまつ
平成 14年第22回相馬市ふくしまスポーツフェスタ2002inそうま
平成 15年第23回白河市ふくしまスポーツフェスタ2003inしらかわ
平成 16年第24回河沼郡(会津坂下町)ふくしまスポーツフェスタ2004inかわぬま
(東北ブロックニュースポーツフェスティバル同時開催)
平成 17年第25回伊達市ふくしまスポーツフェスタ2005inだて
平成 18年第26回田村市・三春町ふくしまスポーツフェスタ2006inたむら
平成 19年第27回南相馬市ふくしまスポーツフェスタ2007inみなみそうま
平成 20年第28回本宮市ふくしまスポーツフェスタ2008inもとみや
平成 21年第29回南会津町・下郷町ふくしまスポーツフェスタ2009inみなみあいづ
平成 22年第30回喜多方市ふくしまスポーツフェスタ2010inきたかた

コンセプト:
スポーツ・レクリエーションの新しい流れを創造する

年度通算回数開催地大会名称
平成 23年第31回福島市ふくしまスポーツフェスタ2011
平成 24年第32回郡山市ふくしまスポーツフェスタ2012inこおりやま
平成 25年第33回県内各地ふくしまスポーツフェスタ2013
平成 26年第34回県内各地
18市町村
第68回全国レクリエーション大会2014福島
平成 27年第35回福島市ふくしまレクリエーションフェスタ2015
平成 28年第36回郡山市ふくしまレクリエーションフェスタ2016
平成 29年第37回福島市ふくしまレクリエーションフェスタ2017
平成 30年第38回会津若松市ふくしまレクリエーションフェスタ2018
2019年度
(平成31・
令和元年度)
第39回郡山市ふくしまレクリエーションフェスタ2019
令和 2年度第40回いわき市ふくしまレクリエーションフェスタ2020
(新型コロナウイルス(COVID-19)の影響で中止)
令和3年度第41回福島市第75回全国レクリエーション大会2021福島
(新型コロナウイルス(COVID-19)の影響で中止)
令和4年度第42回いわき市ふくしまレクリエーションフェスタ2022(総合開会式は実施せず)
令和5年度第43回福島市ふくしまレクリエーションフェスタ2023